木曜日の子どもたち

君のことばかり 気になる

アイドルソングにおける吹抜屋台的表現集

アイドルソングを聞いていると、『ヤダ何で知ってるの?』と言いたくなるようなフレーズがよくある。口に出すにはおこがましい自意識を拾い上げてくれる表現のことだ。わたしはこれを吹抜屋台的表現と呼びたい。

吹抜屋台的表現には、わざわざ主張しない程度には当たり前に誰もが抱えているレベルの個人的な生きる大変さを、アイドルだけが気付いてくれたという喜びがある。例は以下の通りである。

 

 

わかってるんだ

君は靴ひもをなおすふりしてるけど

本当は 泣いてたんだ

 

さかさまの空SMAP

 

不器用な人

こんなに全て明るい季節なのに

流されないで

生真面目に今日もなんだか悩んでいる

 

(4Seasons/Sexy Zone

 

通りすぎる毎日から 自由になりたくて

これからの世界に 何かを探し続けているんだね

 

(Believe Your Smile/V6)

 

ここで、今いちばんホットな吹抜屋台的表現を紹介したい。

 

見た目より重いバッグ

たくさんの君の夢 つめこんで

その肩にかけていたね

 

(Prince Princess/Prince)

 

これは吹抜屋台的表現の中でもある意味矛盾した特殊なタイプである。なぜならこの曲を聴く者の大半にとって、最も重いバッグを背負っているのがまぎれもない歌い手自身であるという暗黙の共通認識があるからだ。このフレーズがなぜ今ホットなのか。

 

 

 

Princeが、岸くんが、デビューするのだ!

 

 

私は岸くんがアイドルになるために得たもの、失ったであろうものが好きだ。

真っ白な歯、いつも切りたての髪、整った眉、見せるための筋肉。

練習の跡が窺えるパフォーマンス。

野球、普通の学校生活、大学進学、普通の恋愛(してるだろうけど)。

 

 

美しく生まれて高い収入を得て女の子にちやほやされて、勿論想像もつかない過酷な生き方なんだろうけど、意地悪な私は心の奥底で、アイドルはもっと苦しまないと割に合わないと妬んでいたのかもしれない。

でも、きっと誰もが何かを選ぶために何かを捨てて生きている。ジャニーズJr.はリアルタイムのドキュメンタリー映画のようなものだから、生活のすべてをコンテンツ化しているだけの差なのだ。

 

そう分かっていても、ジャニーズJr.の岸くんは、いつも切なかった。

どんなに楽しそうでも、人気があっても、覚悟が目に見えていても。

アイドルなんかやめちゃったほうが幸せに生きられるんじゃないかと思うこともあった。

私だってそれなりにくじけながら生きているのに、なんでこんなに一生懸命他人を応援しているんだろうとさえ思った。

 

岸くんがジャニーズJr.になって8年以上。私はそのほんの一部しか知らないけれど、岸くんが積み上げてきたもの、犠牲にしてきたものがきっと報われたんだろうと思っている。

デビューしてからもPrinceはきっとPrince Princessを歌ってくれるだろう。でもその時に誰よりも重い荷物を背負っているのはもうPrinceではない。彼らの歌声を聴くひとりひとりのファン自身だ。それがデビューするということ、アイドルになるということなんだろうと今思う。

この名曲を待っている人はきっとたくさんいる。そんな人に早く届けばいい。

 

 

 

 

 

 

踊るアイドルたち

 ハロー!プロジェクトのアイドルグループ℃-uteの『DANCEでバコーン!』という曲がある。ライブでも定番だったダンスナンバーだが、歌詞はちょっと切ない。汗だくになって踊りながら、なぜ自分が泣いているかも分からないという曲だ。この曲より半年前にリリースされたKAT-TUNの『THE D-MOTION』という曲とシチュエーションが少し似ている。いかにも今風のおしゃれな男の子が踊ろうよ笑おうよと軽薄に誘いながら、実はその胸は張り裂ける寸前なのだ。

 もうひとつこの二曲に共通している点は、今この瞬間はすぐに去り、すぐに明日がやってくるという諦めにも似た前向きさである。歌詞をよく読むと、それぞれにただ踊りながら、過ぎ去ろうとしている〈時〉に思いを馳せて曲が締めくくられているのだ。

 そして2017年6月、奇しくもKAT-TUNの活動休止中に、℃-uteは解散した。時間の経過は時として痛みを伴い、しかし彼らには踊る以外に為す術もない。

 

 

『踊るんだよ』

『なぜ踊るかなんて考えちゃいけない』

『それもとびっきり上手く踊るんだ。』

 

 これは村上春樹の小説『ダンス・ダンス・ダンス』の一節だ。ひとつひとつ大切なものを失い始めていた“僕”の目の前に突如現れた羊男が与えたアドバイスである。羊男が言うには、意味など考えていたら足が停まる。どんなに疲れていても脅えていても、音楽が続く限り足を停めてはいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けることによって固まったものはほぐされ、手遅れになっていないものを見つけ出すことができるというのだ。

 

 “ステップを踏む”というフレーズが、この物語では繰り返される。踊るということとステップを踏むことが同義なのだ。逆に言えば、足さえ動かしていれば踊っていると見なされるということでもある。足を動かすということはつまり移動するということであり、実際“僕”は、物語の中で頻繁に長距離を移動している。時は過ぎゆき、場所は移り変わる。そんな中で“僕”は失った沢山のものと自分自身を取り戻してゆくのだ。

 

 ぼうっとしていたら、時は過ぎてゆく。状況は腐ってしまう。しかし踊ることで再生するもの、生まれていくものがある。アイドルたちが過ごした日々も、それぞれが無心に踏んだステップの軌跡が偶然に重なった結果起こった、一度限りの出来事だ。彼ら・彼女らは一時だけ交わり、それでもまだ踊る以外に為す術を持たない。これは全てのアイドルに言えることだ。今この瞬間もアイドルたちは停まることなく、汗をかきながら、複雑で素敵なステップを踏み続けているのだ。音楽が続き、そこに観客がいる限り。

 

 

SexyZoneの失楽園

 私はSexyZoneの楽曲が好きだ。彼らはデビュー6周年を間近にし、リリースする楽曲もメンバーの年齢に応じて変わりつつある。そんな中、私の愛する楽曲群が初期作品として過去のものになろうとしているのも感じている。楽曲は年を取らないがSexyZoneは大人になってゆく。私は彼らとともに年を重ねるのが難しくなってきたのだ。この現象を私は失楽園と呼びたい。今、私が好きだったSexyZoneのラブソングの魅力、そして彼らがエデンを去ったと感じる理由について語ろうと思う。

 

(魅力1)ふたりで大きな世界へ挑む

 大きな特徴として、『ふたり』を前提に話が進む点が挙げられる。『僕』が『君』を選んだ根拠や、『君』の具体的な特徴に触れないのだ。どんな人とどうやって出会うか、そんなことはSexyZoneにしてみれば些細なことでしかなく、必然的に手を繋いでいるふたりが、より大きな、未知なる外の世界をまなざす姿が描かれていることが多い。

 

思いきって 握りしめる てのひらラビリンス

この先には どんな夢 あるんだろう?

LADYダイヤモンド

 

デンジャラスな時代へと 生まれちゃったけれど

君はオレが 守ってくよ

(Make my day)

 

知りたいよ ふたり一緒に きっとこの先に

僕らはなにかを見つけられるだろう

(シーサイド・ラブ)

 

  LADYダイヤモンドがなぜダイヤモンドなのか、なぜ君しかないのか、説明を求めるのは野暮だ。手を繋いだふたりにはもっと重要な問題がある。重ねたてのひらの中にあるラビリンスを解き明かさなければならないのだ。

 

 

(魅力2)人の話を聞かない

 SexyZoneに迷いはない。こちらの事情などお構いなしだ。一応“Are you Ready I Love You”と言ってくれたこともあるが、それはただ韻を踏んだだけでこちらを気遣う気は毛頭ない。何故なら彼らは一刻も早く『君』とともに未知なる世界に出ていかなければならないからだ。なら仕方ない。そのため彼らは勝手に話を進めがちだ。その傾向は特に歌い出しに顕著に表れている。

 

今僕のことを好きだと言ったの?

ねえちょっと待ってよ 心の準備がね 

(カラフルEyes)

 

桜舞う空 僕たちは恋を始めよう。

For You!

(桜咲くcolor)

 

Missing you 君をさがしてる どこにいるの?

森へ続く道のどこかで会えたならすぐにmake you happy

King&Queen&Joker)

 

リアルなSecretStory 探さないか

まだ誰にも 見せていない 

夢 抱きしめて目と目のEyes 

(Real Sexy!) 

 

Hello,Hello!&MerryChristmas 今がいいチャンス!

一年中の愛を込めて 告白するよ Beautiful night

Sexy Summerに雪が降る

 

 ちなみに前半三つは中島健人氏のソロパートである。当時の彼のこのぶっちぎり感が私は大好きだ。誰に追いかけられなくても人はこんなに早く走れるものかと思ったものだった。

 

 

(魅力3)告白が前のめり

世界中が見てる前で愛を告げるよ

(恋するエブリデイ)

 松田聖子夏の扉』に通ずる発想である。人前で告白なんてした日にはさすがの聖子ちゃんにも“どうかしている”と言われるレベルだ。だが聖子も決して満更でないのだ。そこが良い。

 

オレをスキになれ!

(Make my day)

 『黒崎くんの言いなりになんてならない』はアイドル映画の名作だと思う。この曲の『オレ』は明らかに中島健人演じる黒崎くんを彷彿とさせる。ドSとシャイが表裏一体となった黒崎くんにこれほどふさわしい告白はない。ストレートな告白を恥じらった結果もっと恥ずかしいことを言ってしまっている迂闊さが良い。

 

I give you my all

King&Queen&Joker)

自分のすべてを捧げることに価値があると思える、その若さ故のうぬぼれを評価したい。

 

渡したくないよ そうさ 誰にも君のこと

命かけるよ

You’re my Bonita,You’re my Bonitaさ――――!

(ぶつかっちゃうよ)

 渡したくないあまり取り乱しているのが伝わる。

 

 

 上記は一例に過ぎず、 SexyZoneの告白は往々にして圧とクセがすごい。顔面偏差値東大級のイケメンに告白されているのに、思わずこちらが冷静になるレベルだ。しかしこれほど愚直に愛を告げられれば勢いに圧倒されてすぐには謙遜する気すら起きないというメリットもあり、喪女に優しい。

 

 

 

『カラフルEyes』、そして失楽園

 猪突猛進なまでに愛情表現を重ねてきたSexyZoneだが、記念碑的シングル『カラフルEyes』ではついに女の子から告白される。そんな彼女に対してSexyZoneもいつも通り惜しみない愛情を返している。しかし彼らは初めて女の子からの愛を受け取ったことで、5人組に戻ったと同時にアイドルとしての概念的童貞を捨てているのだ。

 『カラフルEyes』以降の楽曲では楽曲中の女性像は現実味を帯び、SexyZoneは実像を持つようになった女の子を前に、名前を呼ぶことすらためらうようになる。幼いふたりが見つめていた大きな世界も、大人になってみればありふれたものだと分かるものだ。手をつないでみてももうそこにラビリンスはないだろう。代わりに“普通に就職して誰かと結婚する”人生計画が茫漠と広がり、恋に苦しめば“あなたのせいで”などとのたまうようになる。しかしその痛みを知らずに人は大人になれないのだ。かつて“僕なら輝かせてみせる”と宣言した根拠なき自信は幼さ故の傲慢とも言える。きっと仕方のないことなのだろう。

 これはエデンの園で無邪気に愛し合っていたアダムとイヴが知恵の実を食べたことで恥を知り、自分の裸体をイチジクの葉で隠すようになった現象に等しい。知恵と経験は増えていくものだ。一度知ってしまえば、もう楽園にはいられない。戻ることはできないのだ。

 

 

 

 

 

好きになってもいいの

 

ついにジャニーズJr.を心から応援したいと思ってしまった。

そして私は、ジャニーズJr.とは『まだ夢が叶っていない』状態のことだと知った。

 

 

ゴールがあるかさえ分からない道のりを、若くてきれいな男の子達が健気に歩む姿は心を打つ。

夢と言えば聞こえがいいが、不特定多数の無責任な欲望にさらされているのも事実だ。

光の当たらない客席から、きらきらした狭いステージを間近に見ているのはとても楽しい。

自分が「美しく生まれなかった」側の人間であることにほっとする瞬間でもある。

 

 

正直なところ私は、ジャニーズJr.を好きになっていいのか、まだ迷っている。

デビュー組は芸能人として消費することに抵抗がなかった。

それに比べてジャニーズJr.はあまりに無防備に見えて、怖くなる。

私は本当に彼らの幸せを願っているのか、自問せずにいられない。

彼らが人生懸けて取り組んでいるものを受け取る資格が私にあるのだろうか。

 

自分以外の誰もがハッピーエンドを約束されているように思える瞬間がある。

だからこそ他人の『まだ夢が叶っていない』状態にこんなにも心惹かれるのだ。

ならばジャニーズJr.がハッピーエンドを迎えたとき、それを心から祝福できるのだろうか。

彼らが挫折から美しく立ち上がる姿を見たいがために、もっと傷付いてもいいと思ってはいないだろうか。

今こんなにも恐る恐る大事にしたいと思っているのに、彼らが目に見える幸せを手にした瞬間に私はさっさと背を向けられる人間なのかもしれない。

それを知るのが怖い。

 

 

この気持ちもきっといつか忘れてしまうから、ここに書き留めておく。