SexyZoneの失楽園
私はSexyZoneの楽曲が好きだ。彼らはデビュー6周年を間近にし、リリースする楽曲もメンバーの年齢に応じて変わりつつある。そんな中、私の愛する楽曲群が初期作品として過去のものになろうとしているのも感じている。楽曲は年を取らないがSexyZoneは大人になってゆく。私は彼らとともに年を重ねるのが難しくなってきたのだ。この現象を私は失楽園と呼びたい。今、私が好きだったSexyZoneのラブソングの魅力、そして彼らがエデンを去ったと感じる理由について語ろうと思う。
(魅力1)ふたりで大きな世界へ挑む
大きな特徴として、『ふたり』を前提に話が進む点が挙げられる。『僕』が『君』を選んだ根拠や、『君』の具体的な特徴に触れないのだ。どんな人とどうやって出会うか、そんなことはSexyZoneにしてみれば些細なことでしかなく、必然的に手を繋いでいるふたりが、より大きな、未知なる外の世界をまなざす姿が描かれていることが多い。
思いきって 握りしめる てのひらラビリンス
この先には どんな夢 あるんだろう?
デンジャラスな時代へと 生まれちゃったけれど
君はオレが 守ってくよ
(Make my day)
知りたいよ ふたり一緒に きっとこの先に
僕らはなにかを見つけられるだろう
(シーサイド・ラブ)
LADYダイヤモンドがなぜダイヤモンドなのか、なぜ君しかないのか、説明を求めるのは野暮だ。手を繋いだふたりにはもっと重要な問題がある。重ねたてのひらの中にあるラビリンスを解き明かさなければならないのだ。
(魅力2)人の話を聞かない
SexyZoneに迷いはない。こちらの事情などお構いなしだ。一応“Are you Ready I Love You”と言ってくれたこともあるが、それはただ韻を踏んだだけでこちらを気遣う気は毛頭ない。何故なら彼らは一刻も早く『君』とともに未知なる世界に出ていかなければならないからだ。なら仕方ない。そのため彼らは勝手に話を進めがちだ。その傾向は特に歌い出しに顕著に表れている。
今僕のことを好きだと言ったの?
ねえちょっと待ってよ 心の準備がね
(カラフルEyes)
桜舞う空 僕たちは恋を始めよう。
For You!
(桜咲くcolor)
Missing you 君をさがしてる どこにいるの?
森へ続く道のどこかで会えたならすぐにmake you happy
(King&Queen&Joker)
リアルなSecretStory 探さないか
まだ誰にも 見せていない
夢 抱きしめて目と目のEyes
(Real Sexy!)
Hello,Hello!&MerryChristmas 今がいいチャンス!
一年中の愛を込めて 告白するよ Beautiful night
ちなみに前半三つは中島健人氏のソロパートである。当時の彼のこのぶっちぎり感が私は大好きだ。誰に追いかけられなくても人はこんなに早く走れるものかと思ったものだった。
(魅力3)告白が前のめり
世界中が見てる前で愛を告げるよ
(恋するエブリデイ)
松田聖子『夏の扉』に通ずる発想である。人前で告白なんてした日にはさすがの聖子ちゃんにも“どうかしている”と言われるレベルだ。だが聖子も決して満更でないのだ。そこが良い。
オレをスキになれ!
(Make my day)
『黒崎くんの言いなりになんてならない』はアイドル映画の名作だと思う。この曲の『オレ』は明らかに中島健人演じる黒崎くんを彷彿とさせる。ドSとシャイが表裏一体となった黒崎くんにこれほどふさわしい告白はない。ストレートな告白を恥じらった結果もっと恥ずかしいことを言ってしまっている迂闊さが良い。
I give you my all
(King&Queen&Joker)
自分のすべてを捧げることに価値があると思える、その若さ故のうぬぼれを評価したい。
渡したくないよ そうさ 誰にも君のこと
命かけるよ
You’re my Bonita,You’re my Bonitaさ――――!
(ぶつかっちゃうよ)
渡したくないあまり取り乱しているのが伝わる。
上記は一例に過ぎず、 SexyZoneの告白は往々にして圧とクセがすごい。顔面偏差値東大級のイケメンに告白されているのに、思わずこちらが冷静になるレベルだ。しかしこれほど愚直に愛を告げられれば勢いに圧倒されてすぐには謙遜する気すら起きないというメリットもあり、喪女に優しい。
『カラフルEyes』、そして失楽園
猪突猛進なまでに愛情表現を重ねてきたSexyZoneだが、記念碑的シングル『カラフルEyes』ではついに女の子から告白される。そんな彼女に対してSexyZoneもいつも通り惜しみない愛情を返している。しかし彼らは初めて女の子からの愛を受け取ったことで、5人組に戻ったと同時にアイドルとしての概念的童貞を捨てているのだ。
『カラフルEyes』以降の楽曲では楽曲中の女性像は現実味を帯び、SexyZoneは実像を持つようになった女の子を前に、名前を呼ぶことすらためらうようになる。幼いふたりが見つめていた大きな世界も、大人になってみればありふれたものだと分かるものだ。手をつないでみてももうそこにラビリンスはないだろう。代わりに“普通に就職して誰かと結婚する”人生計画が茫漠と広がり、恋に苦しめば“あなたのせいで”などとのたまうようになる。しかしその痛みを知らずに人は大人になれないのだ。かつて“僕なら輝かせてみせる”と宣言した根拠なき自信は幼さ故の傲慢とも言える。きっと仕方のないことなのだろう。
これはエデンの園で無邪気に愛し合っていたアダムとイヴが知恵の実を食べたことで恥を知り、自分の裸体をイチジクの葉で隠すようになった現象に等しい。知恵と経験は増えていくものだ。一度知ってしまえば、もう楽園にはいられない。戻ることはできないのだ。